自分のペースで時間を掴む:急かさない保育で見通しと主体性を育む
なぜ「急かさない時間」が子どもの成長に必要なのでしょうか?
子どもたちが毎日を過ごす保育現場では、設定された活動スケジュールに沿って保育を進める必要があります。限られた時間の中で、遊びから片付けへ、集団活動から食事へと、スムーズな移行を促すために、つい「急いで!」「早くして!」と声かけをしてしまう場面もあるかもしれません。
しかし、このような「急かされる時間」の積み重ねは、子どもたちの心身の発達や時間感覚の育みに、時にネガティブな影響を与える可能性があります。一方で、「急かされない時間」、つまり子どもが自分のペースで物事に取り組む時間を持つことは、見かけ上の効率とは異なる、非認知能力を含む多様な力を育む上で非常に重要であることが指摘されています。
この視点に立つことで、保育現場における時間への意識は「効率」だけでなく、「子どもの内発的な育ちをいかに尊重するか」へと広がります。本稿では、子どもが急かされない時間の中でどのような力を育むのか、そして保育現場で実践できる「急かさない」アプローチについて掘り下げていきます。
子どもが急かされるのが苦手な理由と、育つ力
子どもたちが大人のようにテキパキと行動できないのは、時間感覚や自己調整機能がまだ発達段階にあるためです。一つのことに集中すると、他の情報(時間の経過や次の活動への指示など)を処理するのが難しくなります。このような発達の特性を理解せずに一方的に急かすことは、子どもにとって以下のような影響を及ぼす可能性があります。
- 不安や焦り: なぜ急ぐ必要があるのか理解できず、漠然とした不安や焦りを感じる。
- 自信の喪失: うまくできない自分を責め、自己肯定感が低下する。
- 意欲の低下: 「どうせ自分にはできない」と諦めたり、やる気を失ったりする。
- 反発や混乱: 大人の指示を拒否したり、パニックになったりする。
反対に、子どもが自分のペースで時間を使える経験は、様々な肯定的な力を育みます。
- 自己肯定感: 自分で「できた」という経験を通して、自信を持つことができる。
- 主体性: 自分がやりたいこと、必要な時間を選び取る経験が、主体的な行動につながる。
- 集中力: 急かされることなく一つの活動に没頭することで、集中力が養われる。
- 見通し: 自分でペース配分を考えたり、時間の区切りを意識したりする経験が、先を見通す力につながる。
- 自己調整力: 自分の気持ちや行動をコントロールする練習になる。
- 創造性: 思考や試行錯誤に十分な時間をかけられるため、創造的なアイデアや解決策が生まれやすくなる。
「急かさない時間」は、単に動作を遅くするのではなく、子どもが内側から湧き出る興味や意欲に従って、深く物事に関わるための質の高い時間なのです。
保育現場で実践できる「急かさない」アプローチ
子どもたちの主体性や豊かな時間感覚を育むために、保育現場でできる具体的なアプローチをいくつかご紹介します。
1. 声かけの工夫:「急いで」を別の言葉で伝える
「急いで!」という言葉は、子どもにとって理由が分からず、プレッシャーに感じやすい言葉です。代わりに、具体的な見通しや行動を促す言葉を選びましょう。
- 「時計の長い針が△になったら、お片付けを始めようね」
- 「このお絵かきが終わったら、みんなで手洗いに行こうか」
- 「あと〇分で次の活動の時間だよ」
- 「これをここまで運んだら、次は何をする?」
- 「〇〇ちゃんは、あとどれくらいで終わりそうかな?」
このように、時間の目安を伝えたり、次の行動を示したり、子ども自身に時間の見通しを持たせるような声かけが有効です。
2. 環境構成と時間設定の工夫
- 活動時間の確保: 遊びの時間や自由な活動の時間を十分に確保し、子どもたちが一つのことにじっくり取り組めるようにします。
- ゆとりのあるスケジュール: 活動と活動の間に少しゆとりの時間を持つことで、移行を急かす必要が減ります。
- 選択肢の提供: 片付けの方法や、次の活動への準備の仕方など、いくつかの選択肢を用意することで、子どもが自分でペースを選びやすくなります。
- 落ち着ける場所: 急かされたり、混乱したりしたときに、気持ちを落ち着けられる静かなスペースを用意しておくことも有効です。
3. 活動内容の工夫
- ゆったりできる活動: 絵本の読み聞かせ、穏やかな音楽を聴く時間、座ってじっくり取り組める制作活動などを取り入れ、意識的にゆったりした時間を作ります。
- 子ども主体の活動: 子ども自身が遊びの内容や時間をある程度決められるようにすることで、主体的に時間を使う経験を促します。
4. 年齢別の具体的な対応例
- 0~1歳児: この時期は、特定の活動時間よりも、授乳やお昼寝、排泄などの生理的なリズムが時間感覚の基礎となります。子どもが安心できる一定の生活リズムを大切にし、探索活動などやりたいことには十分な時間を与えます。活動の移行時には、「おむつを替えようね」「ミルクの時間だよ」など、行うことと結びつけて優しく声をかけます。
- 2~3歳児: 少しずつ簡単な指示や見通しが理解できるようになります。活動の区切りを砂時計や特定の音楽などで視覚的・聴覚的に分かりやすく提示し、「お片付けの時間だよ」「お外に行く準備をしようね」など、短い言葉で次の行動を具体的に伝えます。「これが終わったら次」という順序の理解を促します。
- 4~5歳児: 活動にかかる時間の見通しを立てたり、自分のペースを意識したりする力が育ちます。「あと5分でこの遊びはおしまいだよ。それまでに何ができるかな?」「お片付けが終わったら、好きな絵本を読んで待っていてね」など、具体的な時間や、次の行動を示しながら、自分で時間を使ったり調整したりする経験を促します。集団での活動でも、一斉指示だけでなく、「まだ遊びたいお友達は、あと〇分遊んでから片付けようね」など、個別のペースにも配慮する声かけをします。
5. 集団での応用と個別対応
集団活動において、全員が同じペースで動くことは難しい場合があります。大切なのは、全体の流れを共有しつつも、個々の子どものペースを可能な限り尊重することです。
- 時間や活動の「見える化」: 一日のスケジュールを絵カードで見えるようにしたり、タイマーや砂時計を使って活動時間の目安を示したりすることで、集団全体で時間の流れを共有します。
- 「〇時になったら」「この曲が終わったら」などの共通の合図: みんなで意識する時間や合図を決めておくことで、スムーズな移行を促しやすくなります。
- 個別の子どもへの声かけ: 全体への指示だけでなく、「〇〇くん、この積み木が終わったら次に行こうか」など、個別のペースに合わせて声をかけ、活動の区切りや次の行動への移行をサポートします。
6. 保護者へのアドバイス
家庭でも「急かさない時間」を大切にすることの重要性を伝えることも有益です。「園でも、子どもたちが自分のペースで活動に取り組む時間を大切にしています。ご家庭でも、時間に追われがちな時こそ、少し立ち止まってお子さんのペースに寄り添ってみる時間を持つことが、お子さんの自信や自立につながりますよ」といったメッセージを、連絡帳や保護者会などを通じて伝えることが考えられます。
まとめ
子どもが自分のペースで時間を使う経験は、単にのんびり過ごすということではなく、自己肯定感、主体性、集中力、見通し、自己調整力といった、その後の成長の基盤となる力を育む上で非常に価値のある時間です。保育現場で全ての活動を急かさずに進めることは現実的に難しいかもしれません。しかし、声かけの工夫、環境設定、活動内容の検討、そして年齢や個々の発達に合わせた柔軟な対応を心がけることで、「急かされない時間」を意識的に作り出すことは可能です。
子どもたちが安心して自分の世界に没頭し、時間を主体的に使える経験を積み重ねることが、結果として豊かな時間感覚と、未来を生き抜くための確かな力につながっていくでしょう。